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金相賢 (内野手) : ウィキペディア日本語版
金相賢 (内野手)[きむ さんひょん]

(キム・サンヒョン、ハングル:、1980年11月12日 - )は大韓民国出身のプロ野球選手(内野手)。''(キム・サンヒョン、ハングル:、1980年11月12日 - )は大韓民国出身のプロ野球選手(内野手)。
== 来歴・人物 ==
群山商業高等学校卒業後、ヘテ・タイガース2001年7月起亜へ球団譲渡)に入団したが、同じ三塁手鄭成勲の活躍で1軍での活躍の場はなく、2002年7月LGツインズへトレードされた。LGでは2004年100試合に出場するなど、3塁のポジションを確保していったが、2005年から軍に入隊し国軍体育部隊の尚武に所属した。尚武ではプロ野球2軍リーグの本塁打王となるなど、その長打力は目を見張るものがあった。
2007年LGに復帰後3塁のレギュラーとして活躍したが、守備に難点があり首脳陣の信頼を得られず、2008年オフ、かつてヘテでの競争相手だった鄭成勲ヒーローズからFAで移籍してきたこともあり、ポジションを失った。そして2009年シーズン開幕後の4月19日、古巣起亜へとトレードされた。
当時起亜は内野手の層が薄く、LGである程度の実績がある金相賢は三塁の先発メンバーで起用されるようになった。すると水を得た魚のようにチャンス本塁打やタイムリーヒットを打ち続け、特に満塁本塁打4本とその勝負強さは光っていた。そしてシーズン後半になるとますますその打撃は勢いを得て、チームが首位に立った8月には15本塁打を記録した。
起亜が公式戦優勝を決めた9月24日ヒーローズ戦は、偶然にも出身地の群山で行われ、36号本塁打を含む3打点と活躍し、故郷に錦を飾ることとなった。
最終的には打率.315、長打率.632、36本塁打、127打点を記録し、本塁打、打点、長打率部門で打撃3冠王となり自身初の個人タイトルも獲得した。2008年までの過去9年間の通算本塁打数は33本に過ぎず、2009年の活躍がいかに予想外のものだったかがわかる。そして起亜の12年ぶりの韓国シリーズに貢献したとして、2009年シーズンMVP(最優秀選手)を受賞し、一躍プロ野球界の主役となった。なお、この年鄭成勲は打撃面で金相賢を上回る活躍はできず、代わりに獲得した投手は1軍登板できずLGは7位に終わり、金相賢を放出したことはここ5年以上の低迷を象徴しているかのようであった。
2010年シーズンの契約更改では、前年比1億8800万ウォン増の2億4000万ウォンと、5倍近い大幅増額を勝ち取った。だが同年は昨年の活躍から激しく警戒され、自身も故障により夏場に長期戦線離脱し、79試合しか出場できず21本塁打、53打点と前年より大幅に成績を落とし、起亜も優勝を逃し5位にとどまった。2011年も故障で離脱していた期間が長く、100試合程度の出場数にとどまり、2012年はたった32試合の出場と、年々成績が下降している。2011年以降外野での出場機会が増えてきたが、2013年5月6日、宋恩範などとの2対2トレードでSKワイバーンズへ移籍した。
2014年11月28日、KTウィズより特別指名(他球団より1名ずつ20名の保護選手以外を指名)を受け移籍することになった。2015年3月28日、同年より一軍に参入したKT初の公式戦となるロッテ・ジャイアンツ戦の1回表、球団史上初本塁打・初打点を記録。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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